セラ

■セラ (〈ヘ〉sela) 

「岩」を意味する普通名詞〈ヘ〉セラ(参照民20:8,10,申32:13,士6:20,Ⅰサム23:28,イザ2:21等)に由来する地名で,しばしば定冠詞がつけられる.

それゆえ,「岩に守られた堅固な町」という響きを含む.

パレスチナ南部の町で,イスラエル人がカナンに定着しようとした頃はエモリ人がいた(士1:36).

後にエドム人,さらにナバテヤ人の都とされた.

ギリシヤ語では「ペトラ」(「岩」という意味)と呼ばれる.

死海の南,約80キロの地にあるウム・エル・バッヤーラと同定される.

南王国ユダの王アマツヤは塩の谷でエドムの軍隊を撃ち破り,彼らの首都セラを占領し,ヨクテエルと改名した(Ⅱ列14:7).

詩篇作者はこれを「防備の町」と呼んでいる(参照詩60:9,108:10).

イザヤは,アッシリヤ軍に追われたモアブ人がこの町に逃げ込むと預言した.

彼らはその町が陥落する時,ユダに避難すると言われている(イザ16:1.参照エレ49:17‐18,オバ3‐4節).

他方,イザヤ書後半において,この町の住民は,フェニキヤ人,トランス・ヨルダンのケダル人らと共に神を賛美する群に加えられている(イザ42:11).

また,聖書で「岩,岩間」と翻訳された箇所の中にも,セラに関係していると思われる場合がある(参照民24:21,Ⅱ歴25:12,エレ49:16).

1812年以後の考古学的調査によって,セラ(ペトラ)の歴史が明らかになっている.

新しい町は盆地の中央を南北に流れるワディ・ムーサ(「モーセの川」という意味)のほとりにあるが,元来の町はホル山の北東斜面にあって非常に古く,旧石器時代から人が住んだ形跡がある.

この盆地の東西には切り立った山並が続いており,横断は容易でない.外との交流には,シクと呼ばれる峡谷を通って北ないし南に向かわなければならない.

この町が要害化されたのは鉄器時代以降(前1200年以降)であり,住民の主体はエドム人であった.

現存する古跡の大部分は,ナバテヤ王国の首都となった後のもので(前600年―紀元106年),大規模な貯水施設,宮殿,神殿や祭壇の跡,劇場,山の斜面を利用した霊廟などが残っている.

マッタティヤ・アンティゴノスによってガリラヤ知事職を追われたヘロデ大王は,ペトラに逃れ,さらにエジプトを経てローマに赴き,前40年にユダヤの王に任ぜられて再びパレスチナに戻った.

パウロの時代にナバテヤ王国の王であったアレタ4世(前9年―紀元40年)は,遠くダマスコまでも支配していた(参照Ⅱコリ11:32).

紀元106年にローマ皇帝トラヤヌスはペトラをアラビヤ区に編入した.

その後も,この町はしばらく栄えたが,3世紀には勢力を失い,ついには廃墟となった.